アラサーになった誕生日に天気の子を観て感動したのに傷ついた話

なぜこんなブログに日記

アラサー(25歳)になった誕生日なのに、前日に何も考えず予約した「天気の子」を見に行ったら、映画を見た多くの人が得たであろう感動は得られたのですが、アラサーの誕生日という事実に横たわっている思考があったために、内面的な起きてはいけない化学反応が起きました。

その結果、心が継続ダメージを受けています。この文章は早急に上記の状態をレジストするために書きます。

要するに、明文化するという行為で、時間と精神を蝕む思考を文章に縛り付けて外化と同時に固定化してレジストします。 連鎖的な化学反応により、脳内に滞留させると過剰な情動を齎し、勝手に処理を進めスタックを溢れさせるタイプのやばい思考を生み出してしまったため、ダンプして固定化することでこれ以上の思考をやめようと試みています。

天気の子は最高に良い映画です。みなさんも見に行きましょう。 ただし、加齢を感じる日には見に行かないようにしましょう。

特に独身で内向的で恋愛経験が皆無な男性がアラサーの誕生日に観に行くのは致命傷を負います。

以上なるべく理路整然とした説明。以下はポエムです。天気の子のちょっとしたネタバレも含みます。

事前警告

改めて警告

以下の文章が分かるリテラシーを持っていて、アラサー独身の場合はより致命的なダメージを負うリスクがあります。 下に続くのは、ポエムに独白という私の内面の スタックトレースダンプです、読み解く覚悟のない人が読んでもリソースの無駄です。

上の2文で見事に読者をダブルバインドするというクソ展開を置いて、さらに読み進める人を減らしておきます。

これが最終警告です

最悪、以下に吐き出されているスタックトレースダンプを読んだあなたの思考が同じようなスタックトレースダンプを吐き出して停止するまで止まらない、精神に継続ダメージを与えるプロセスに汚染されます。

スタックトレース

ボーイミーツガールを観ても心のダメージは受けないので、それは問題がなかった。 そうじゃないんだ。あれは若さ故のエネルギーだし、新海誠が主人公がヒロインに指輪を渡すための筋書きで塗り固めたのもあるけど、そういうの全部ひっくるめて、若さと勢いとそれをスクリーンで観た時の感動が、もう少し若かったらもうちょっと分かるだろうなと思ってしまったのが致命傷だった。

本物だと知りつつ一度捨てた銃を向けるのも、世界というか首都級の街を水没させても良いというのも、すべての勢いに対しての感動が、目がうるむまでの99.9%、もうイレブンナインレベルの寸止めで止まって不可思議だった。

「まぁ、そういうものか」と受け取って思考をやめて夕食のラーメンを啜りに行けるのは、 年齢を自覚させる節目の誕生日でなければの話だ。

残りのほんの僅か、目が潤むかどうかのしきい値に達しなかった。 その絶妙な量の感受性をいつ失ったのかという思考が始まってしまった。 確実に失っているという確信があったからだ。

ふと、自分がもし高校の時に観たら絶対目が潤んでるなと思ってしまった。

体感時間が年齢に対してe底の自然対数 Math.log(Math::Constant::Napier, my.age) であるとしたときに、実は19歳で半分の加速を終えるという計算をしたことがある。

その計算をしたのが、2013年かそこら。それからもう6年。 もう若くはない。わかってはいたし、これから時はより残酷になる。

父親も20代からどんどん体感時間が早くなる。30まであっという間だと言っていた。 祖母も言っていた、人間死ぬまでの暇つぶし。

だが、覚悟が甘かった。感覚が死ぬまでの暇つぶしに近づいていくんだ。 まさかもう中年の危機ってやつか、あと1回干支残しているのに思秋期か?

感性の老化、いや、情動の老化。私はこれを成熟とは認めたくない。 一応、鍛えてはいるつもりだったが。守るのも好きなのでなんとも言えないが。

旅で風景を見ることを好きでい続けたいし、チャレンジングで居続けたい。 実際に夏に思いつきで下北半島まで下道だけでバイクを転がして行ったし、 なんなら今後もそれぐらいの無鉄砲さが欲しい。

なるほど、もう一度天気の子をフラットに観て、リハビリとして有効かどうか確認すればよいのか。 本当か?????そんなことあるか???????

私はこの文章を吐き出すことで考えるのをやめた。 良い映画だったな、また観に行きたいな、といく気持ちだけ残しておく。